熊の場所

※光の国や光の国のヒトについての独自設定がたくさんあります。
※名無しのオリジナルキャラクターが出てきます。

フィリスは休日を博物館で過ごすことが多い。今日訪れたのは、光の国の中でも大規模な施設だった。ちょうど開館二十万年を記念して大規模な展示が行われていた。開館時間から閉館時間まで粘ったとしても、一日ではとてもすべてを観賞することはできない。フィリスのとくに興味のある分野にかぎっても、数日はかかるだろう。フィリスはあと何度か来訪するつもりだった。
フィリスは歴史分野のコーナーに足を踏み入れた。
歴史のコーナーはとくに照明が落とされていて薄暗い。館内の照明は、光の国のほとんどの屋内の建築物と同じように、人工太陽プラズマスパークの原理が応用され、それを生活用のレベルにまで弱めたものだ。しかし、展示物には他の惑星からもたらされたものも多く、プラズマスパークが放つディファレーダー光線によって劣化するものもある。どのガラスケースも、元の惑星の温度や湿度、光度などの環境が可能なかぎり再現されている。
来館者はそれなりに多く、著名な文書の周囲などには人だかりができているけれど、人々の態度は厳粛で、会話はひそやかになされた。
ここには二千歳に満たないような幼い子どもはほとんどいない。
星間戦争の死者を祀る墓所のように、幼年の個体が立ち入ることを禁じられているということもないが、博物館施設に入館する幼年者は多くないのだった。
ここにあるのは、ほとんどが遺物だからだ。
フィリスは数歩歩いて、人だかりの中に移動した。銀河連邦に加盟した証の文書の写しが展示され、その周囲をぐるりと当時の各惑星の代表者のホログラムが囲んでいる。ホログラムにはウルトラマンキングのほかに当時の各惑星の首脳が映っているが、隣のキャプションに目を通せば、首脳陣の多数が亡くなっていることに気づくだろう。彼人らの子孫との交流が続いていることもある。だが、少し歴史に詳しい者ならば、惑星間の戦争で滅亡したり、膨張した恒星に呑み込まれ、多数が宇宙移民となった星の名があることを察するだろう。
光の国の住人は、文化を有する宇宙の知的生命体の中で図抜けて長命だ。身近に宇宙警備隊や銀十字軍、銀河連邦の関係者でもいないかぎり、ほとんどの場合、病や死を目の当たりにする機会が少ない。親しい人が寿命を迎える頃には、ほとんどのお個体は成体となり、少なくとも数千年が経過していることが多い。
死、というものがあると知ったとき。
ほかの星の生命体は、ほとんどの場合、光の国のわれわれほどは生きられないと知ったとき。
幼い個体は強く恐怖する。感受性の鋭い幼い個体は、博物館の遺物で、死の気配を感じ取って不安定になる。
そういった個体はブルー族の幼年体に多いとされるが、レッド族やシルバー族にもときおり存在する。 かつてのフィリスもそうだった。
幼い頃のフィリスはほとんど恐慌に陥った。自分にも家族にも学校の先生にも先生にも、そのときがいずれ必ず来るという。そんな重大なことを今まで知らなかったのが、また怖ろしさを煽った。いつか自分にも死が訪れるのならば、光の国のヒトは生きているあいだ、ずっとこの恐怖から解放されないということなのだろうか。
いずれ死という虚無が待っているのに、どうして誰も彼もそれを忘れたような顔で日常を送っているのだろう。なぜ、警備隊は危険な任務に向かっているのだろう。なぜ。
フィリスはそれまで毎日のように立ち寄っていた学校の附属図書館から足が遠のいた。何も知りたくなかった。タブレットを起動させて書物アプリを立ち上げ、胸を踊らせて読んでいた物語の続きを確かめる気にもならない。あの小説の登場人物にも、図鑑の生物にも、死が存在する。
学校と家をただ往復し、時間を埋めるように勉強をした。食事をして、眠り、課題を解き、食事をして、眠り、課題を解く。
どれだけの時間が経ったのだろう。フィリスにとっては、けれど、この間にすら他の星系の生物が生まれて死んでいる。
怖い。フィリスはのろのろと学校の廊下を歩きながら、指先で太腿を引っ掻いた。
その腕を止めるように、差し伸べられた手があった。見上げると附属図書館の司書だった。
そのひとは学校の中庭にフィリスを連れ出して、噴水の縁の煉瓦に二人で並んで腰かけた。中庭の花壇には小さな花が植えてあり、そよ風に揺れていた。花も茎も透明で、季節の存在しない光の国に咲く固有種だ。
そのひとは静かにフィリスの隣に座っていた。最近顔を見せないと咎められるかと思ったのだが、フィリスが言われたらいやだな、と危惧していた内容はいっさい話題にのぼることはなかった。安堵すると、堤防が決壊した。フィリスは堰を切ったように死の恐怖を話していた。
二千歳にも満たない子どもの幼年体の話だ。フィリスは途中から泣いていた。
しかしそのひとは辛抱強くフィリスの話に耳を傾け、ハンカチを貸してくれたのだった。
語り疲れて、肩を震わせてしゃくり上げるフィリスに、そのひとは言った。
「きみのなかで恐怖はずいぶんと大きくなっているから少し難しいかもしれないけれど、きみは、なるべく本を開いたほうがきっといい。図書館に、博物館に行く元気はあるかな?」
「どうしてですか?」
「何かを怖ろしい、と思ったときは、できるだけ早くその場所に戻ったほうがいいんだ」
「宇宙警備隊の話?」
「警備隊だけじゃない。わたしや、きみもそうだ。必ずしも戦わなくてもいい。勝つ必要もない。でも、怖ろしいものから逃げると、その恐怖がどんどん大きくなっていく」
フィリスは手をぎゅっと握った。逃げれば逃げるほど恐怖が肥大化していく感覚は、分かるような気がした。
「ぼくたちには『死』はすごく遠い。どうやってその場所に行けばいいんですか?」
「光の国には生命の固形化技術がある、しかし、死そのものが完全に克服されたわけではない。われわれは長命だが、神ではないからね」
フィリスは頷いた。「はい」
「だが、考えることはできる。その場所を見つめることはできる。じっと見つめることが怖いなら、そのあたりをやみくもに走り回るだけだっていいんだ。わかるかい?」
きっときみにはそれができる、とそのひとは言葉を繋いだ。

あのひとは聞き取るのに苦労しただろうな、とと現在のフィリスは思う。私は途中からひどく泣いていたから。
フィリスはガラスケースの前に立ち、遺物を見つめている。そこに展示されているのは一枚の石板だ。光の国の観測員が遠い星で取得したという。その星は滅亡して久しいため遺物も少ないとキャプションに記されている。ほとんどどが風化して砂に埋まり、文字を解読する手がかりもないらしい。
胸にじわり、と染みのようなものが広がる。これは孤独だろうか、虚しさだろうか、悲しみだろうか、恐怖だろうか。フィリスは考える。
司書の言葉を受けてから、フィリスはふたたび図書館に向かうようになった。哲学書を読み、文学に接し、博物館勤務の取得を目指して勉強した。アカデミーを卒業して、就職先は博物館ではなかったが、宇宙科学技術局で遺物を扱うためには、資格取得のために得た保存や維持の技術を日常的に用いている。
あの頃、博物館と図書館は、幼いフィリスにとって確かに熊の場所だった。今でも死を忘れられるわけではない。しかし孤独や虚しさや悲しみや恐怖に食い潰されそうになるたびに、司書の言葉がよみがえった。振り返って、それを見つめた。
見つめるうちに、ただ、知が。これらは確かに生きた証なのだという知が、フィリスの恐怖を畏敬と愛に変えている。

 

 

舞城王太郎の『熊の場所』が元ネタでした。