トレギアは眼を覚ました。
靄がかった視界がクリアになっていく。白い天井。消毒液の匂い。気温と湿度がコントロールされた室内。医務室か救護施設かなにかの寝台に横たえられているらしかった。
「……?」
トレギアは上半身を起こした。
胸に凝った闇の気配がある。仮面も、まだこの顔に被さっている。
トレギアがカラータイマーに宿した宇宙誕生以前の混沌の化身。そのうちの一柱、グリムドと融合したトレギアはあの日、タロウやその息子タイガ、若いウルトラマンたちによって倒されたはずだった。
こうして復活することを、トレギアも予想しなかったわけではない。グリムドは力を持つ邪神だが、トレギアがカラータイマーに取り込んだ混沌の化身のうちのたった一柱でしかない。カラータイマーで培養するうち、宿主であるトレギアに力を与えながら、同時にトレギアをひたひたと侵食した邪神も無数にあった。その邪神が解き放たれ、何百年、何千年かけて力を取り戻し、顕現すれば、トレギアの魂や肉体も再構成される。トレギアの存在もまた無数のバックアップを得たようなものだった。
再び眼が覚めることは予想していた。しかし、それは宇宙遺跡ボルヘスのような禁区か、宇宙の墓場のような場所であるはずだった。それが、このような清潔な、まるで病室のような場所だとは思っていなかった。しかもここは。
「まさか…光の国……?」
トレギアは呟いた。声は少し掠れていた。
まさか、二度と戻らないと誓った故郷であろうとは。
部屋の外で足音が響いた。
ドアが開く。
姿を現したのは、ホーンを持つウルトラマンだった。一瞬シルエットでタロウかと思ったが、そうではなかった。銀色の部分の多い体、タロウとは異なる水色のプロテクター。タロウよりも薄い色の眼、背丈もタロウよりも小柄に見える。
「これはこれは、ウルトラマンタイガ」
トレギアはおとがいをつい、と上げて彼人を迎えた。タイガは壁に立て掛けていった折り畳み椅子を広げ、そこに腰かけた。
「こうして再び会うことになるとはね」
グリムドと同化したトレギアを倒したのはタイガだ。トレギアは皮肉を込めて、煽るように両手ひらひらと動かしたが、タイガはそれに直接は答えず、
「……あんたのことを、許したわけじゃない」
トレギアを見据えていた。
ウルトラ族の年齢は、同族からしても判別がつきにくいが、タイガはトレギアの記憶よりも大人びたようだった。あの地球での戦いから、想像以上の年月が経過しているのかもしれない。――あるいは、カンに障るが。タイガは大きな経験を積んだのかもしれない。
トレギアは探るようにタイガを見遣る。
「あれから二千年経ってる」
心を読んだかのような返答に、トレギアは一瞬ぎくりとしたが、それを覆うように、トレギアは
「二千年か。君やお仲間が体を借りていた地球人は、とっくに死んだだろうね」
タイガは顔をしかめ、赤い手をぎゅっと握った。二千年が経過した程度では、彼人のこういったナイーブさは消えないらしい。それはそうだろう。二千年が経過したとしても6800歳、光の国の戦士のうちでは若い個体だ。
さらに突ついてやろうとしたトレギアをタイガは遮った。
「二千年のあいだにおれたちはアブソリューティアンと戦った。アブソリューティアンはウルトラマンの力からダークネスを生み出した。闇の力だ」
「……ほう?」
「ウルトラ族がディファレーター光線で進化したように、アブソリューティアンはカスケード光線と呼ばれるエネルギーで進化した、おれたちの…イフみたいな存在だ。カスケード光線はディファレーター光線よりも強力で、アブソリューティアンは進化と引き換えに星が滅びかけていた。それで光の国に侵攻してきたんだ。激しい戦いになったけど、アブソリューティアンのほとんどの住民は移民として保護することになった」
「きみから歴史の授業を受けるとは」
皮肉を込めて口にするが、タイガは気にとめた様子はなくに顛末を話した。
「戦いの中で、ウルトラ族の中で議論が生じた。おれたちウルトラ族は、闇について無知すぎるんじゃないかと」
「ふむ」
「あんたの言っていたことを証明するような二千年だった。……いや、この議論についてはまだ決着はついていない。まだ話し合いは続いてる。闇を知るべきか、そうでないか」
「……それを、私に話すということは、」
トレギアは察した。
「私が蘇ったのは、『闇を知るべき』派の仕業ということか」
「そう。散り散りになった邪神の欠片を集めて、あんたをサルベージした。命の固形化の技術の応用だけど、ずいぶん時間がかかった」
「私はモルモットか」
嫌味っぽく口にしたが、科学技術庁出身のトレギアは、芯から腹を立てているわけではない。
「悪いけど、調査と監視はさせてもらう。しばらくは」
「私はこの邪神の力を使って監視員を殺すこともできるし、闇に堕とすこともできる。罪人がほとんど存在しない光の国に、警備らしい警備をできるものかな」
「そんなことはさせない。おれが止める」
「きみは『闇を知るべき』派に属しているのか? 正直なところ、意外だな」
トレギアは言外に、かつての自分がモンスリングを利用しタイガを闇に墜としたときのことを示した。タイガもすぐ、思い至ったらしい。
「ああやって仲間を傷つけるのは二度とごめんだ。……でも、同じことを繰り返さないためには、やみくもに怖れるべきじゃないと考えてる。取り込まれないために、知るべきだと」
タイガは真っ直ぐにトレギアを見据えていた。
強い輝きの眼がふ、と凪いで、言葉を接いだ。
「父さんとは意見が分かれてる。父さんは闇に踏み込むべきじゃないと思ってる。あくまで光の側に立ち、手を差し伸べるべきだと」
「……タロウらしいな」
タイガは少し寂しげに頷いた。
トレギアには癪だが、大人びた、というタイガへの印象は正しいと認めざるを得ないらしい。あの幼かったタイガは、二千年でタロウと異なる意見を持つ程度に成熟している。
「アブソリューティアンは平行世界にも干渉してた。平行世界のあんたとも戦ったし、少し話したよ」
タイガはつ、と俯いた。
「平行世界の私とやらは死んだのか?」
トレギアはさほどの感慨も持たずに訊ねた。
トレギアにはこの人生は己の選択の末に歩んだ結果だという自負があった。もしもに興味はない。
「君は平行世界の私と、この私を重ね合わせているのか? お子様の感傷に付き合ってやる義理はないな」
ぐ、とタイガは数秒、言葉に詰まった。
「絶対に違う、とは、言えない…。おれは父さんの子としか見られない、自分の名前で呼ばれない子どもだったことがあんなに、いやだったのに……。あんたがおれを父さんの分身かなにかのように扱うことが、本当にいやだったのに、おれは平行世界のトレギアを通してあんたを見てた」
ごめん、とタイガは声を絞り出した。
「私に向けられても意味はない。きみがどう謝ったところで、きみは私にとってタロウの子だ。だから闇に浸してやりたかった。……でなければ、誰がきみみたいな子どもなんか相手にするものか」
「おれがいやなんだ」
タイガはかぶりを振った。トレギアは印象を撤回する。大人びた? いいや、まるで子どもだ。頑是ない子どもだ。
「おれはあんたが、平行世界のトレギアが、光の国では生きていけないと思ったことが、いやなんだ」
「傲慢だ!」
トレギアは激しい口調で詰った。
タイガは尚も続ける。
「あんたの言葉を証明するような二千年だった。もし、一人でも、ここで生きていけないと思わせるなら、光の国は完璧じゃないんだ。ウルトラ族は、進化の究極なんかじゃない。おれはヒロユキに地球で教わった。そのことが、この二千年でわかった」
「子どもの傲慢だ、ウルトラマンタイガ」
「あんたがここにいたくないなら、どこに行ったっていい。でももし、そうじゃないなら。ここにはいられないと、思っていたなら、おれは」
あんたがそのままでいられる国を、おれがつくるよ。
タイガの宣言を、トレギアはどこか遠くで聞いていた。かなしい、と感じた。
自分が最も聞きたかった言葉はこれだったのではないか。
今更のように、悲しかった。なにもかもが。
タロウではなくその子どもに、そう告げられたことが。
タイトルは松野志保の短歌「天球儀に青いリボンを君の棲むべき星がどこかにあるだろう」から。