かぎろひ(@ai_2_siki)さんの発案を元にシスターくんと吸血鬼のBLを書きました。
あたらしい朝の光が教会の白い壁を差せば教会の門を開き、熟れた実のような夕日が夜を引き連れて西の山脈に沈めば閉じることが、シスターの仕事でした。シスターは白い薔薇のつぼみのような青年でした。
夜の帳が降り、空の色を紫と紺色に織り上げる、黄昏時のことでした。教会の塀に沿って植えられた木々の梢が薄暗い影をつくっていましたが、シスターはへっちゃらです。シスターが蔦の意匠の鉄の門を引くと、塀と門戸をつないでいる金具が、ぎぎ、と低くぶきみな音をたてました。
「油を差さないと…」
明日は日曜日です。シスターはミサに訪れる周囲の住民たちのうち、とくに気にかけている幼い子どもを思い出しました。倉庫に潤滑油と、使い古した布きれを取りに行き、もどってきます。その子どもは、雷をひときわ怖がり、こわい話が苦手なため、年長者によくからかわれているのでした。怯えてしまったら可哀想です。シスターは油を古布に一吹きして、金具の合わせ目を拭きました。門をすこし、動かしてみます。ぶきみな音は、止んでいました。シスターはほっとして、門を閉じて、鍵を掛けます。
「働き者だね」
聞き慣れた声が夕さりの空気を震わせて、シスターははっとして、黒い眸を門の向こうに遣りました。教会の門の表は、街へ続く石畳の道がひろがり、ひらけていましたが、教会の門のわきに植えられたりっぱなアカシアの枝が、塀の外側にまで伸びています。その影がひときわ濃いあたりから、人の声がするのでした。影は、たくさんの蝙蝠がはばたきながら集うようにゆらめき、やがて、人のかたちを取りました。シスターより数歳年長なくらいの、若い男のようにも、ひどく歳上なようにも見えます。けれど歳上のほうに見積もったとしても、男のほんとうの年齢には及びはしないのでした。男は齢二百の、吸血鬼でした。山をふたつ越えた古城の主である吸血鬼は、あろうことかシスターに一目惚れして、毎日のようにやって来るのです。
血族になってほしいと、いざなうために。
「いつから、そこにいたんだ?」
シスターは尋ねました。わざと冷たい声を出しました。あまり他人には聞かせない声です。きっと神父や信徒が耳にしたならびっくりしたことでしょう。シスターは吸血鬼をねめつけます。
シスターは実はまだ誓願を立てておらず、見習いの身分にありましたが、神に仕えることに高い誇りを持っていました。
「…倉庫に戻ったあたりかな」
シスターは大きな溜息を吐きました。吸血鬼もわきまえたもので、ほかの人間がいるところで、シスターに会いに来たりはしません。それでも、シスターはこの吸血鬼がひどく苦手でした。近くにいると、なんだか胸がざわざわするのです。
「シスター、働きものの手をこっちに見せてよ」
吸血鬼は黒いインバネスから大きな手を覗かせて、鉄門を指でなぞりました。内部から人間が招かなければ、吸血鬼は教会に足を踏み入れることはできません。しかし、どうやらそれなりに血族のなかで高位で、強力でもあるらしい吸血鬼は、完全に暗くなりきらないうちから門の前をふらふらしていることがありました。
シスターのみたいな花がうちの庭で咲いたのだと、白い薔薇のつぼみを一輪、寄越してきたこともありました。お返しに魔除けのエルダーフラワーを差し出してやれば、にこにこと両手のひらで受け取ってみせるのでした。タイムやセージのお茶を飲み、ハーブの香りをぷんぷん漂わせていても、「いつもとちがう匂いがするね。今日のシスターもすてきだ」などと、どこ吹く風なのです。聖書を押しつけたら、少し身体が「じゅっ」と音をたてましたが、なんともないよと笑うのです。
シスターは、布きれをぎゅっと握り込みました。
「血を吸うつもりだろう」
「しないよ!」
吸血鬼は焦ったように大きな声を出しました。視線をさまよわせて、ばつが悪そうに、続けます。
「もし、ししてもいいなら、するけれど…」
「…僕の手、油がついて、汚れてる」
「シスターの手は、きれいだよ。もっとよく見せて。…この門の隙間から、指先だけでも、出してくれないかな」
「油くさいぞ」
吸血鬼はにっこりと微笑みました。
「いいよ」
「…へんなやつ…」
シスターは吸血鬼から視線を外し、布きれを左手に移して右手を門のほうへ差し出しました。中指を鉄門に引っかけて、人差し指のほんのつま先が門の外側に出るようにします。
「指に、触りたいな。シスター、…触っちゃだめ?」
「…だ、…」
吸血鬼は鉄門の装飾模様をそっとなぞりながら、尋ねてきました。決して見ないつもりだったのに、吸血鬼の大きな手が、視界の隅に入りました。吸血鬼は切なそうに、シスターを見つめています。シスターは目が逸らせなくなりました。だめに決まっています。撥ねつけたい。撥ねつけるべきだと思っているのに、どうしてだか胸がいっぱいになって、シスターは鼻を鳴らしました。
「…指先だけなら」
「ほんとう? うれしいな」
「指先だけだぞ!」
吸血鬼の指がゆっくりと移動してきて、シスターが指を引っかけている模様に辿りつきました。シスターはぎゅっと目を閉じました。なにがおかしいのでしょう、吸血鬼が小さく笑みの吐息を溢したのがわかりました。
「わら、うな」
「ごめん」
吸血鬼は宝物に触れるみたいに慎重に、シスターの人差し指の爪先を、人差し指と中指、薬指の三本で包みました。ひんやりとした指に撫でられると、こそばゆくて、シスターは息をひそめました。
それが合図だったかのように、吸血鬼は指を離しました。それで、終わりでした。
シスターが瞼を開くと、吸血鬼は手を握っていた指先を、さも大事そうに左手で覆って、
「せかいでいちばんのしあわせだ」
と言いました。
シスターは吸血鬼をじっと見上げました。
「…僕を、一族に加えたいんじゃないのか」
「もちろんそうだよ。でも、今日はシスターが手を握らせてくれたから、それでいい。顔を見にきて、よかった」
シスターは鉄扉を握り、呟きました。
「…毎日のように来るくせに、」
「うん、明日も来る」
吸血鬼は相好を崩して、続けます。
「シスター、つまらない信仰なんか捨ててさ。俺と永遠に、生きようよ」
「――つまらない?」
ひやり、と喉元に刃を突きつけられたようでした。わざとではなく、つめたい声を、発していました。シスターの胸のなかで、ひややかな戸惑いが、火のような怒りに変わっていくこともつゆ知らず、吸血鬼はわくわくしたようすで続けます。
「愉しいことって無限にあるんだよ、シスター。俺もまだ見たことないこと、たくさんあるんだ。シスターに似合う花、似合う宝石、服、髪飾り…地球の裏側まで、一緒に探しに行こう」
「ばかっ!」
シスターは布きれを吸血鬼に向かって投げつけました。けれど、二人のあいだには教会の門がありましたから、油のついた布きれは鉄の装飾にぶつかって、地面に落ちます。
「…ばか! 僕は、おまえとなんか行かない!」
吸血鬼は一瞬、何が起きたのか判らないみたいに眼をぱちくりさせました。シスターがどうして突然怒りだしたのか、まるで理由に察しがつかないようでした。それでも、悲しくてたまらないようすで、図体を縮ませて、がっくりと双肩を落としています。
吸血鬼のそのすがたを見て、シスターはさらに戸惑い、苛立ちました。
だから、吸血鬼は苦手なのです。
シスターだってほんとうはわかっています。自分がこの吸血鬼を愛しているのだということ。この吸血鬼のためにこそ、祈りたいのだということ。シスターには、吸血鬼が神に祝福されないこ寂しく、とが悔しく、やるせないのです。
なのに吸血鬼はそんなことはどうでもいいと、自分と一緒においでと、宣うのです。