方舟・3

※自殺についての記述のある小説です。希死念慮等をお持ちの方はメンタルの安全が確保できる環境でお読みください。

 

私とリピアーの次の任地もまた、ある惑星だった。今までの任地は文明が滅亡してから数十年以上が経過していたのだが、今回は「おそらく、絶えたばかり」らしい。私とリピアーがその惑星の観測員として選ばれた理由については、ひとつ前の観測地が比較的近距離の星系内で、ゲートを使わず飛行で現場に到着可能だったことと、
「おそらく、きみが警察庁に勤務していたからだ」
そのように、リピアーは考えているようだった。私は尋ねる。
「最後の一人の死体を、私に検分をさせようということか?」
「おそらく、そうだ」
「私は監察医や鑑識ほどの専門知識はないし、外星人の行動パターンが地球人と一致するとは限らないと思うが」
「それは光の星とて同じだ、神永。宇宙には、われわれが生態系や習性について知識を有し、行動を予測することがあるていど可能な生命体も存在するが、実際の思考を理解できるわけではない」
「ふむ」
「光の星は、可及的速やかに、その惑星で最後の一人に何があったかを知りたいと考えている。できれば光の星以外の視点も取り込みたいのだろう。きみの」
「きみと私の」
「…ああ。きみと私の」
地球人であり、光の星のヒトであり、どちらでもあり、どちらでもない私たちは、その惑星に向かった。

その惑星は地球に似た環境を有していた。大気に覆われ、海と大陸が存在している。生命反応が消えたという地点に向かって飛行していると、異音が耳に付いた。蠅か虻の羽音に似ているが、それらよりもはるかに巨大だ。私はドローンやヘリコプターの飛行音を連想した。未知の原生生物かとも思われたが、私の直感は当たっていたらしい。「無人機だ」とリピアーはつぶやいた。ドローンは、旅客用ジェットほどの巨きさのもの、中型のもの、小型のものと、合計6機。大きさもさまざまで、プロペラの数も性能も性能もそれぞれ異なるようだが、みな一様に黒く塗られていて、威圧感があった。
ドローンたちはそれぞれが意思を有するかのように、様子をうかがいながら私とリピアーを追いかけてくる。私とリピアーは飛行速度を上げてそれらを振り切った。
海沿いには砂地が広がり、その上には人工物らしき黒い直方体が等間隔に敷き詰められて並べられていた。立方体はそれぞれ横1.5メートル、縦2.5メートル程度の大きさだ。さながら棺のようだった。銀のパイプで繋がれ、パイプの上を、やはり無人機らしい、1メートルほどの大きさの機械体が這い回っている。ウルトラマンの視力だからこそ棺や機械のひとつひとつの視認が可能だが、人間の視力では、飛行しながらでは黒く密集した何かにしか見えなかっただろう。
棺の並ぶ砂地は数十キロにも及んだ。
私たちは湾から川を遡るように陸地の上空を通過していく。
河沿いにはいくつもの街があったが、それらはすべて廃墟だった。白い岩を切り出した建築物は原生植物に呑み込まれていた。原生植物は地球のそれとは異なり、建物に絡みつく蔦のような植物も、巨木のようなそれも、深紅だった。血のような色の植物に侵食された建築物に、私は地球の文明の最期を想起し、うすら寒い気分になった。
私を励ますように、「神永、もう少しだ」とリピアーが告げる。
私たちは河の上流にある湖を目指していた。
湖の向かいには白い山脈がそびえている。山脈の上方は鈍色の雲に隠れて見えない。中腹から湖の対岸にかけては赤い森林で覆われている。
「ここだ」
湖には桟橋が延びており、私たちはそこに降り立った。桟橋は赤い木々で組まれており、修繕の跡もあるが、ほとんど朽ちかけていた。
この惑星の住人は、地球人とそれほど変わらない体格をしていたらしい。住居のスケールでそれがうかがえた。
肌感覚では、気温は10℃ほど。リピアーによれば大気も主に窒素と酸素で構成され、原生地球人の肉体にとっての有害物質も希薄ということだった。
湖畔には赤い木材を用いて建てられたログハウスのような家が十軒ほど並んでおり、小さな集落を形成している。しかし桟橋と同じように、ほとんどの家は住居として用をなさなくなっているように見えた。表面には赤い黴が生え、建材のあちこちから、紅色の蔦が生えている。また、湖を取り囲む森林もかなり住環境を侵食しており、集落の端にある家からは枝が突き出している。
私とリピアーは、スケールに合わせて神永新二の肉体で桟橋を歩いた。
湖畔の冷たく、湿度の高い空気が喉に触れた。
正面のログハウスに向かう。このログハウスは植物に侵されてはいない。ドアの前に立ち、ノブを回す。申し訳ていどの鍵が掛かっている。私とリピアーは相談の上、ドアを強く引いた。鍵は壊れ、私たちは住居の中に入った。
外からみた印象では住居としての体を残していたが、足を踏み入れてみると独特の、どこか甘ったるいような気配があった。警察庁に勤務していた私にとって、見知った気配。死体の気配だ。
私とリピアーはドアを順番に開けていき、三つめの部屋、寝室らしき部屋でそれを見つけた。身長は180センチ程度。膚の色が緑であることをのぞけば、ほぼ地球人と変わらないように見えるヒトが、椅子に座ったまま事切れていた。口に1メートルほどの長さの筒状の物体を突っ込んでいた。筒状のそれは、おそらく銃のような武器と思われた。頭部は口から後頭部に向かって破壊され、壁と床には肉片が飛び散っている。
私は口を開いた。
「自殺に見える」
「私にもそう見える。間違いはあるまい」
リピアーは頷く。
「しかし、光の星は調査と観測記録を要求している。検め、記録をとる必要がある」

部屋を観察するうち、私たちは机の上にメモ書きのようなものが遺されているのを発見した。
リピアーが読み上げた。
「『……子どもたちは行ってしまった。≪あっち≫へ。しかし、私にはいやなのだ。どうしても。融け合うことも、山から来るけものどもに、死体を喰い荒らされることも、この孤独も』」
遺書のような文面だった。
自身が惑星最後の住人であることを、彼人は知っていたのだろうか。このメモが惑星外のヒトに読まれることを予測していたのだろうか。それとも、宛てがなくとも、ヒトは自身の納得のために、遺書を記すのだろうか。
リピアーの声が次第に沈んでいったことが、私には気がかりだった。

光の星の観測機関は、入念な調査と記録とひきかえに、死体を動かすことを許可していた。つまりそのヒトを葬ってもよいということだ。この惑星の宗教・文化の詳細はリピアーも詳しくは知らないようだが、土葬、つまり土中バクテリアによる分解は一般的な埋葬方法であったらしい。
故人が「山から来るけものどもに、死体を食い荒らされること」を厭っていたことは確かだ。私たちは彼人の体を、埋葬することに決めた。ログハウスから大型のシャベルのようなものを探しだし、森の入り口に穴を堀りはじめた。
私も人のことが言えた口ではないが、リピアーはもともと多弁ではない。肉体を共有していても、そうだ。先ほどの遺書を読み上げてから、リピアーはさらに寡言になっている。
湖畔の森の湿った土を掘る。ざっ、ざっ、という音がする。私は尋ねた。
「あの、棺のような物体は何だったんだ?」
リピアーは答える。
「棺というきみの印象は間違っていない。肉体をおさめているから、棺のようなものだ。この惑星の住人の多くは、あの中に肉体が融解した状態で存在している」
とつとつと説明するリピアーに、私は少しほっとしていた。リピアーは私に何かを説明するときは、饒舌になる。
私は問いを重ねた。
「融解?」
「もともとは……きみたち原生地球人類の言葉を借りれば、メタバースやアバターが近いだろうか。アバターを介してクラウド上の空間で交流を行う、というような技術の発明があった。それが幾度かの技術革新と技術的特異点を経過し、アバターを必要としなくなった。脊髄や脳から意識、魂や精神と呼ばれるものを、クラウド上に再生することを可能とするようになった。そもそもは傷病者のために開発されたシステムだったのと、タイムログを極限まで減少させるために肉体を融解することが最適解と、この惑星の研究者は考えたようだ。そのクラウド上の世界においては経済的格差も老いも病もなく、魂レベルでのコミュニケーションが可能となった」
気温は10℃程度と肌寒いくらいだったが、ヒトを埋めるほどの大きさの穴を掘るというのは重労働なものだ。こめかみを汗が流れる。故人はけものに森のけものに死体を喰い荒らされることを厭っていたから、2メートル程度の深さは彫りたかった。もっとも、この星の森のけものがどの程度の腕力や嗅覚を有しているかは判然とせず、決して掘り返されないとは言えないのだったが。
「この惑星の人々が生み出したそれは、天国のようなものか?」
「地球の各宗教によって天国のイメージは異なるが、おおよそは類似している。一種の理想郷が発明されたと推察される。この惑星の住人の生体データを介さなければそのクラウド上に侵入することは不可能なため、光の星の技術でも、知覚的認識の再生は困難だが」
「このヒトは、その理想郷を拒否した?」
「この、いわば人為的進化は、浸透するまで一定の期間を必要としたが、いちど浸透し始めると爆発的な勢いで広まった。初期段階では移行作業はヒトが行っていたが、やがてこの惑星の人々は移行作業・および維持管理のためのマシンを開発した」
「あの棺の上の機械か?」
「ああ。そして、管理機構も自動化され、連絡さえすれば迎えが来るようになった」
「最初に見たドローンたちだな」
リピアーは頷いた。
私たちは穴を見下ろした。180センチ前後の人物が横たわることのできる2メートルほどの深さの穴が、そこにあった。私とリピアーはそのヒトの身体を抱え、そっと穴に横たえた。
穴から上がる。今度は、今までの作業の逆だ。土で覆っていく。
リピアーは説明を続ける。
「結果的に少数とはなったが、肉体の融解という不可逆の変化を忌避する人々も存在した。この集落は、そのような人々によって形成されたと考えられる。皮肉なことだが、光の星からは移行後の世界を認識できないため、縮小していく集落をこそ彼人らの文明と考えた。おそらく、今後も私たち以外の誰かが定期観測を行うことになるだろう」
「こういう文明は、多いのか?」
「こういう、とは、どういうものだ。神永」
「こういった……、肉体を捨て去る文明だ」
「多寡をどこに設定するかによるが、マルチバースじゅうを見渡せば、少なくはない。集合的無意識への回帰を目指す文明もあれば、この惑星の住人のように個体性を保持しつつ魂の交流を目指すもの、さまざまだ。しかし、」
「しかし?」
「あくまで光の星の観測範囲だが、肉体を捨て去った文明が、当初の想定ほどの永久の繁栄を維持した例は多くない。維持システムが保たなかったり、維持管理のために生み出された機械生命体が自己進化して職務を放棄したり、理由はさまざまだが」
「天人五衰は訪れない、ということか。それとも、天人五衰のような状態になると自滅するのか?」
「自滅を望むようになっても、自主的な放棄が果たして可能なのか、この惑星のようなケースでは外部からの判別が困難だ。もっとも、光の星の住人は肉体を有したまま個体として完結するよう進化したが、これが進化の最終的な形態であるのかは、われわれにもわからない。このように進化した結果、私たちには個性が希薄だ」
「リピアー。きみは、そのように自分を言うが、私にはきみが、個性の希薄な個体だとは思えない」
リピアーが少し、微笑んだ。
「……神永。きみに、出会ったからだ、」
はにかむような、苦笑いのような笑みだった。
リピアーはふたたび押し黙った。
土をかぶせ終え、森の入口にはヒト一人ほどの大きさの、やわらかい土の山ができ上がっている。私たちはシャベルで土をさらに固めた。
ヒトが埋まっていることが視認できない程度になるころ、あたりは暗くなりかけている。
私たちはシャベルを木に立てかけた。森の暗がりの向こうから、ぐるるる、とけものが喉を鳴らすような音がしている。「森のけもの」だろう。縄張りを侵したとみなされて威嚇されているのか、食糧と認識されているのかは判然としない。喰われてやるつもりはないが、この惑星のけものが私、神永新二の肉体を消化・吸収できるのかも不明だ。
できれば死体を喰い荒らされたくないという故人の希望が叶えられるといいが、と私は思った。私たちはスペシウム光線で遺体を焼却することも不可能ではなかったが、光の星は遺体の移動は許可しても、分解は原生生物の食物連鎖にまかせることを掟としていた。
私は短く、手を合わせた。警察庁に勤務していた頃は、遺体を前に、こういった行為が何になるのだろうという思いが脳裏を過ったこともあったから、我ながら奇妙なことだった。
リピアーが沈黙していることが気に掛かった。
「リピアー、答えてくれ。リピアー」
「……うん、」
やはり、どこか落ち込んでいるような声だった。
私たちは黙りこくって、森の入り口をあとにする。集落と湖のあいだを、ゆっくりと歩く。
いつの間にか風が強くなってきていた。
私は集落の住民たちの孤立と孤独のことを、考えていた。肉体を『棺』で融解させ、魂を移行させるヒトが増えれば、文化・文明の維持は困難となる。移行を一度は拒否したものの、生活維持の困難さを理由に移行を選択し、ドローンを呼んだ人物もいたのかもしれない。
故人が自殺に用いた銃のようなものは、森のけものに対抗するための武器だったのだろうか。
集落に、獣害や病や老いが迫りくる。遺書には「……子どもたちは行ってしまった。≪あっち≫へ。」とあった。≪あっち≫が移行先のことを指すのなら、残されるヒトの孤独は、どれほどのものだろう。
この惑星の人々は、どのような情や愛を持っていたのだろう。
「……故人は、自ら死を選んだ」
リピアーが小さな声で言った。私はリピアーが沈んでいた理由の輪郭を感じたような気がした。そう、リピアーはおそらく、遺書を読んでから衝撃を受けて、落ち込んでいるのだ。うぬぼれでなければ、私に関することで。
「リピアー。聞いてくれ。私が寿命まで生きたとしても、原生地球人類は魂レベルの接触が可能な技術的特異点には至らなかったろう。だから、考えたこともない。私にとっては、起きたことがすべてなんだ」
「……故人は『しかし、私にはいやなのだ。どうしても。融け合うことも、』と書き記していた。自死よりも、孤独よりも、『融け合う』ことの忌避感が勝ったのだ。肉体の変化や個体性の保持はそれだけ、ヒトによって重要なことだということではないのか。私は、」
「そう書き記したのは亡くなった人物であって、私ではない。この惑星の人々も、多くは移行を望んだ。だいいち私の個体性は消えてはいない。こうして、きみと対話しているのがその証拠だ」
リピアーは返事をしない。私は言葉を継ぐ。
「私はこの状況を、甘美だと捉えている」
「甘美?」
「私ときみは肉体を共有しているが、同時に理解し合うことのできない他者で、ひとりだがひとりではない、というこの状況だ」
本当は、と私は思う。私のこの言葉がどれだけ慰めになっているのか、リピアーが納得しているのか、理解できたらいいのに。自分のことのように分かったらいいのに、と思わないわけではなかった。それが不可能な他者であることは、さみしく、もどかしくもある。
それでも、私のこの言葉も、偽らざる本心なのだ。
「神永。私はきみに、選択の機会も与えなかった」
「選んだとしても、きっとこうなった。中間者として、外星人と戦い、ときに地球人類の思惑とも衝突することは、私ひとりでは困難だった。きみひとりにも、させたくない。……私たちが、私たちでよかったんだ」
この惑星を訪れたときから空は鈍色の雲に覆われていたのだが、風で雲が動いて、空がまばらに現れていた。雲の隙間から太陽の茜色の光が射し込み、山脈に陰影をつくりだしている。
湖畔の白い浜が、朱色に染まっている。
「美しいな。リピアー」
と私は思わず、口にした。
「ああ」とリピアーがうなずく。
「神永、……ありがとう」
私たちは桟橋に戻ってきていた。
桟橋を進みながら、私たちは、神永新二の肉体はポケットからベーターカプセルを取り出す。
起動点火スイッチを押す。
私とリピアーは、ウルトラマンは飛び立つ。燃えるような輝きと雲が相反して存在する空へ向かって。

 

 

 

 

 

 

ケン・リュウの「波」があまりに怖かったのでそのパロディを書こうと思っていたのですが、かなりちがう感じになってしまった。エヴァパロと書くべきかもしれない。(「波」は人類補完計画に取り残されたような人たちの文明の縮小の話です)