友情の果て

そのとき、僕は十八歳だった。

誕生日おめでとう、とメフィラスは言った。
「ありがとう」
とくに変な感じはしなかった。メフィラスの貼り付けたような笑みはいつものことで、僕はそのとき、不審には思わなかった。メフィラスの右腕、黒いシャツから露出する手が、外星人体に変化しても。僕の頭に掌がかざされても。
「子ども扱いするなよ」
僕はほんのじゃれあいの延長線上のような感じで、軽く手を上げ、メフィラスの手を退けようとした。
「ええ、サトル君は法律上成人しましたね。ですので、」
メフィラスの黒く角張った手の、指のあいだの赤が目についた。メフィラスは僕が、頭を撫でられたりするのはあまり好きではないと知っているはずだった。それでも僕とメフィラスは互いにちょっとした悪ふざけをすることもあり、違和感というほどのことではなかった。
僕は思い至らなかったのだ。
きいん、と耳鳴りのような音がした。乗っている列車がトンネルに入ったか抜けたか、エレベーターが急上昇したか急下降したか、何かが切り替わったような感じだ。肉体の何かが。
「な、にを……」
今更のように、とうなじの肌が粟立った。汗が噴き出て、つつ、と背中を流れる。心臓がどくどくと早鐘のように脈打つ。僕は渇いた唇を必死に動かした。声はひどく掠れていた。
「僕になにをしたんだ」
メフィラスは黒い眼を見開いたまま、唇の両端を半月のようにつり上げて微笑み、朗々と告げた。
「きみとのゲームはとても楽しいので、ステージを移行させることにしたた。きみはこれから、老いない。地球上のあらゆる病、これから発生するもの、他星系・惑星のものも含めて――に、侵されない。何度、致命傷に至っても、無限再生・無限に自己治癒が可能だ。きみはもう、死なない」
「なにを言って……」
「ルールは今まで通りだ。『地球をあなたにあげます』と、きみが言えばいい。私はマルチバースのどこからでも駆けつけて、なんでも望むものをあげよう。なんでも」
じゃあ、とメフィラスの体が変化する。ヒトの顔から外星人体に。
「それまでお別れだ」

 

 

 

 


 

 

 

 

「きみはもう、死なない」
あれから一万年が経過ち、五回目の大戦が起きた。
最後の記憶は頭上で爆発した、新種爆弾の眼を灼くような閃光だった。
僕は肉体がゆっくりと再構成されるのを感じながら、ふわふわと夢のなかを漂っている。脳がかたちを取り戻すにしたがって、夢は輪郭を持ちはじめる。 
ぼくはあれから家族と別れ、友人たちの出会いと別れを幾度も繰り返した。人類から諍いが消えることはなかった。人口と文明は七度危機に瀕し、縮小しては再び拡大した。
僕の身体能力は、十八歳の誕生日から、およそ人間の枠を出てはいない。ただ外見上の姿は十八歳からまったく変化しなくなった。メフィラスの言葉の通り、あれから病には罹らなかった。怪我は生命に関わるようなものでも自己再生が可能になった。とはいえ再生や再構成にかかる時間は、損傷の度合いと比例する。ちょっとした負傷なら半日もも必要ないが、腕や頭が吹き飛んだり、大量に出血すれば数日、火山に落ちれば数十年はかかる。
肉体と記憶の再構成が完了して、僕は荒野に立っていた。激しい風に砂が巻き上げられて、頬を打つ。見渡すかぎり、生命の気配のない砂地が広がっている。あの閃光を見て意識が途絶してから、どれくらいの時間が経過しているのだろうか。判別の手がかりになるようなものは見つからなかった。
僕は数十年かけて荒野を歩き回った。
これまでも、似たようなことはあった。それでも十年以内にに人間の集落を発見していたし、ボトルネックに入った人類も数十年、数百年のうちに拡大したものだった。
だが、どうしてもヒトの気配はない。僕は洞窟の探査を終えて、禿げ山に背を向けてとぼとぼと歩いていた。さすがに疲れて座り込んだ。受け入れなければいけないらしい。もう僕以外の人類は滅んだのだと。
瞬間、パッと魔法のようにその姿は現れた。
「メフィラス!」
メフィラスの外星人体が荒野に立っていた。およそ二メートルほどの背丈の、なめした革のような、地球上の物質のなにものとも似ていない黒い体色の体。一万年とそれ以上生きたけれど、結局地球上で、メフィラスに似た生命体は見なかった。頭部の鬱金色の部分がチカチカと光った。
「この地球にもはや知性体の生命反応はないよ、サトル君」
そうか、と思った。なので、そう返した。
「そうか」
「私が地球が欲しい、と言ったとき、『僕が決められることじゃない』と、きみは返事をしたね。さて、きみはこの地球に一人きりだ。私に『地球をあげます』と言う気になったかい?」
「……いや、」
僕はかぶりを振った。口の端がつり上がっているのが自分で分かった。僕は一万年以上生きていて、見かけのわりに老獪になったし、図太くもなった。
「地上でひとりの人間になったくらいで、僕が地球を寄越すと思ったら大間違いだ、メフィラス」
メフィラスの頭部が明滅する。
「そうか」
「海の生命体は確実に回復傾向にあるし、植生が発生しつつある土地もある。地球は人類だけの所有物ではないけれど、何十億年か経ったら、僕と意思の疎通が可能な、人類のような生物がまた誕生するかもしれない」
「きみは、それをひとりで待てるのかい?」
「何だって楽しんでみるよ。こうなった以上、それしかない」
僕は答えた。
人間体はともかく、外星人体のメフィラスに人間に相応する表情はない。けれどいま、メフィラスは笑ったような気がした。
正直なところ、不死になって最初の三千年くらいは、殺意に近い怒りを抱いていた。今もこれからも、許すことはないだろう。なぜ僕を不老不死にしたのかも、理解できるとは思えない。けれど、なんとなく、いまメフィラスは笑ったように僕は思った。
「サトル君、きみと遊ぶのは、とても楽しい」
僕たちはかつて友人だった。