「アア、こんな日は駄目だ、」
二十面相は自らの顔と肉体がドロリと溶けていく夢を見て寝椅子から飛び起きました。薄暗い部屋をヨロヨロと歩き、鏡の前に立ちます。自分の顔も思い出せないと嘯く変装の達人は、時折、悪夢に襲われることがあるのでした。
「夜! 夜にさえなればおれは、」
怪人は顔に触れながら、一刻も早く夜が訪れることを願いました。
二十面相はその夜、予告状を送った屋敷の家令を拐し、服をそっくり拝借して変装しました。宝石を金庫から首尾よく盗み出し、今度は警官の制服に着替えて屋敷を後にします。
「待てッ」
少年の鋭く、高い声が響きました。明智探偵の助手、少年探偵団のリーダー、小林芳雄君です。二十面相は飛びかかってきた小林少年の手首を掴むと、くるくると踊るように腕を引き寄せました。
「なあ、きみ、おれを捕まえたいのだろう。どこまでも、地の果てまでも追いかけてきてくれるかい」
二十面相は小林少年の瞳をジッと見つめて尋ねます。
「おれがおれをわからなくなっても、つかまえてくれるかい」
小林少年の夜のようにさえざえと黒い両眼に、二十面相の姿が映っています。
「どこまでだって、追いかける」
その答えを聞いて、二十面相の心はまるで初恋のように浮き立ちました。
「……約束だよ!」
二十面相は小林少年の手をぱっと離し、身を翻して闇の中に姿を消します。けれどもう、顔が溶け出す白昼夢からは二十面相は自由なのでした。二十面相は彼に追われてさえいれば、自分のかたちを思い出せるのです。