剣呑

「御手杵の、槍」
姫路城の宝物庫が開けられ、数人の男が階(きざはし)を昇ってくる。研ぎ師にしては人数が多い。掃除番にしては筋骨隆々としており、武士の中でも使える者のようだった。参勤交代か、と御手杵は思った。それにしては、少し早い気がする。
「家中の宝ぞ」
「丁重に、丁重にな」
男たちは声をかけ合い、六貫目の白熊毛鞘に覆われた四尺六寸に及ぶ御手杵を、宝物庫から運びだしていく。男たちは御手杵だけでなく茶器の類も次々に手に取っていた。ははあ、と御手杵も気が付いた。どうやら国替えらしい。珍しいことではなかった。御手杵の現在の主である松平直矩はすでに四度の国替えを命じられている。
宝物庫から出された御手杵を、上士が数人がかりで支えて立てる。
どうせ戦場に駆り出されることもなく、行列の先頭を行くだけだ。御手杵は最近、己がもはや馬印であったような気すらしている。馬印とて立派な仕事だが、それはやっぱり馬印として生を受けたものが為すべきじゃないかと御手杵は思っている。
それでもやはり、外に出されれば気分が良かった。田畑の中の白鷺が鮮やかなように、姫路の城は雲ひとつない青空に白い偉容を誇り、御手杵もまるで天さえ突けるようだ。
ふだん宝物庫の当番をしている者が御手杵の姿を確認して、台帳に印をつける。もう一人、御手杵を見上げる眼があった。先ほどまで宝物庫で指示を出していた男だ。まだ若く、背も高い方ではないが、無駄のない体つきをしている。
「御手杵の、槍」
男はきらきらとした眼差しで言った。感嘆と憧憬に、いくらか野心が混じっている。御手杵は幾度もその声を聞いたことがあった。これまでにあからさまな者、そうでない者とあったが、男は前者らしい。武士として生まれたからには、一度は御手杵の槍を振るってみたいという野心。けれど御手杵は知っている。男の望みは叶わないだろう。どれだけ野心とあこがれをもって語られたとしても、己が武器として扱われることは、そうはあるまい。
天和二年。徳川家康の江戸幕府開闢から、七十九年が経っている。

 

(わッ。なんだなんだ)
御手杵は突然に覚醒した。鞘に覆われていると、どうもぼんやりしているときがあっていけない。人間でいうならばきっと視界が覆われたようなもので、うっかりうつらうつらしていることがある。
鞘が、取り払われたのだ。
周囲の情報がいっさい遮蔽されず感じられる。何年ぶりだろうか。賊に囲まれている。殺気はそれほど強くない。国替えをじゃまできれば良い、その程度の算段なのだろう。賊は武士ではなく、忍びのたぐいであるようだ。暗器を持っている。周囲は浜辺。姫路には大きな港がないから、日田への国替えのため、瀬戸内沿いに岡山まで来て襲われたのか。足場の悪さは、大身槍たる御手杵を振るうには悪条件に思われた。
じゃぶじゃぶと無数の水音。主である松平直矩の駕籠は、海に入っていた。近臣たちは駕籠の周囲を守り、浅瀬のあたりで刀を構えている。しかし、それ以上の深瀬には逃れられない。手前の波打ち際には賊が数人。御手杵を携えた刀番たちは主君と切り離され、賊を挟んで、松原にいる。こちらは女や大荷物の人足が多数で、武具を持った者は少ない。
誰よりも強い殺気は、御手杵を握る刀番が放っていた。瞬きひとつせず、ぎらぎらと眼を見開いて、男は笑っている。浜辺を跳ねるように蹴り、駆け出した。
御手杵の長身はすぐに賊に辿りつく。穂先が賊の一人をつらぬいた。男は驚くべきことに、片手で御手杵を扱っている。男は続いて、御手杵を薙刀のように振り回した。二人、三人、四人。槍先の形状から、己を「突く」ことに特化した槍と認識していた御手杵は、また驚いた。確かに御手杵の重量と、振るうに相応しい膂力があれば、柄が衝突しただけでも無事では済まないのだ。
男は誰よりも戦場を喜び、御手杵を存分に振るえることに昂奮していたが、同時に冷静でもあった。まずは、蹴散らすことだ。
「おれは鷹村源右衛門という」
鷹村は名乗った。御手杵は、話しかけられたのかとハッとした。付喪神たる自分が見えているのかと。
鷹村は掌の中で柄を滑らせ、賊を突き殺す。鷹村は御手杵に語りかけたのか、侍として当然のふるまいをしたまでなのか。あるいは、これから手にかける者たちへの礼儀のつもりかもしれない。
(鷹村源右衛門)
御手杵の中で、鷹村源右衛門という使い手が立ちのぼってゆく。これまでの、憧れだけで通り過ぎていった武士たちではなく。
「ハハッ」
鷹村は左肩に御手杵を担ぎ、警戒するようにやや離れて取り囲む賊を睥睨し、――犬歯をむき出して笑う。踊り出るように踏み込んで、薙ぎ殺す。
たたかうことが、たのしいのだ。
鷹村はすこし生まれてくるのが遅かったのだろうと、御手杵は思った。しかしそのような時代と場所に生まれていたら、鷹村のような男は長くは生きなかっただろうことを、御手杵は知っている。
ならばやっぱり、今でいい。今がいい。
優れた使い手と出会ったときに感じる一体感。御手杵は鷹村といっしょになって、敵を斃すことだけを考えている。