※キス程度の性描写があります。
探偵助手はテーブルの上に封筒を差し出して、ぺこりと頭を下げた。頭を下げられたほうは背広の中年で、助手よりもずっと年嵩に見えるが、かえって恐縮したようにぺこぺこしている。探偵事務所御用達の、商店街の純喫茶。俺は週刊誌をめくりながら、観葉植物越しに耳をそばだてるが、店内は大きなスピーカーからアルトサックスの音色が低く流れていて、細かい会話は聞こえてこない。俺は溜息をつき、クリームソーダを啜った。オモチャみたいな緑色の着色されたソーダは思いのほか炭酸がきつく、喉を刺激した。
十五分ほど話し込んだあと、背広は店を出て行った。俺は週刊誌とソーダのグラスを片手に、助手の対面に移動して、
「今のは?」
と訊いた。
俺は作業服に帽子といういでたちだったのだが、助手は驚いたふうもなく、デミタスカップのコーヒーの残りを飲み干した。
「謝礼。…今回いろいろと、手伝ってもらったからね」
俺は片眉を上げた。作業帽の庇の陰になって、助手に見えたかどうかは判然としないが。
俺も素人ではないから、この街に「目」があることにはすぐに気がついた。むかし読んだシャーロック・ホームズの、ベイカー街遊撃隊を思い出す。探偵が入り込めないあらゆる場所にいる、協力者たち。喫茶店の店主が、配達員が、交通整理員が。網のように、探偵の目となっている。謝礼金を用意することのできなかった依頼者や、探偵の世話になった者たちが、自主的にネットワークの一員となっているのだと言う。
助手は視線を落として、カップの取っ手を指でなぞる。
「…ほんとうは、」
助手はほとんど声を発さず、くちびるだけを動かした。
「真相を知るだけなら先生には必要ないんだ。期日までに証拠を集めなければならない、そういうときに…ほんの少し、あのひとたちに手伝ってもらう」
「金がなさそうなツラだったな、今のやつ」
ぞっとしねえ話だ。
スマートフォンや小銭入れ、個人情報さえ盗めれば、いくらでもやりようはあるが、…財布に紙幣はおろか、キャッシュカードの預金残高も少なさそうだ。誰にだって金がないタイミングはやって来る。そのときに財布を抜いたって、こっちだって甲斐がない。そういうタイミングのやつだと、俺はそう直感していた。
助手は愁眉を寄せたが、反論はしなかった。
ずずず。俺はわざと大きな音をたてて、クリームソーダを飲みきると、
「出よう」
と助手を促した。
勘定を済ませて店を出て、商店街を抜け、交差点を渡り、しばらく歩いて路地裏に入った。奥へ。俺は週刊誌を、通りから差し込む明かりをさえぎるように、助手の顔の横に差し出した。
「…何、」
四月の午後四時。まだそこまで暗くない。俺が見たところ人目はないが、ビルの三階や四階から誰かが「たまたま」こちらを見下ろす可能性までは排除できない。
俺はぐいっと助手に顔を近づけた。助手が驚いて後ずさったから、週刊誌ごとさらに身を寄せる。鼻先がくっつきそうな距離。
「どうする? おまえは、どうしたい?」
助手は眉をぎゅっと寄せて、くちびるを引き結んで、俺の服の袖を摑んだ。でも一秒も経っていなかったに違いない。ほんの一瞬、唇が重なる。それで充分。コーヒーの苦い味がして、それで、充分。