モルヒネ

※KKオーグに独自設定があります。
※薬物描写を含みます。R-15

「あれ、」
カマキリカメレオンオーグは呟いた。SHOCKER基地のひとつの通路でのことだった。クモオーグがKKオーグを振り返る、KKオーグは呆然と立ち尽くしていた。
KKオーグのマスクの間からひと粒ふた粒、涙が滴って落ちる。
「せんぱい、ぼく、どうしたんでしょう」
堰にひびが入ったかのように雫が滲みはじめると、あとは奔流のようになる。止めようがないらしい。ぐすぐすと鼻を鳴らして左右の手のひらで交互に涙を拭っていたが、やがてマスク越しに聞こえてくるくぐもった呼吸が、しゃくり上げるようなものに変わる。崩れ落ちて両膝をついた。うまく息が吸えないらしい。ぜえぜえと、ひきつけじみた浅い呼吸を繰り返す。クモオーグは立ったままKKオーグに近づき、KKオーグの上半身を抱き寄せた。
「苦しいですか?」
「くる、しい、です」
「大丈夫です。すぐに楽になりますよ。ゆっくり息を吐きなさい、KKオーグ」
KKオーグはクモオーグの言葉通り、はあ、と吐息を零す。
クモオーグは蜘蛛のBOTの一匹に指示を出した。KKオーグの防護服はほとんど膚をぴったり覆っているが、クモオーグはKKオーグの設計を熟知している。隙間から侵入させ、膚を這わせ、左腕の内側にBOTを停止させる。ぷつ、と小さな感触。BOTには小型の針と安定剤が仕込んである。クモオーグは、KKオーグの精神安定に必要な薬剤を注射するためのBOTをつねに数匹引き連れていた。
やがて、KKオーグは花が開くように笑った。
「ふふ」
KKオーグは立ち上がる。クモオーグの支えはもう不要らしい。何でもなかったようにKKオーグは腕を回した。
「もう何でもありません。なんだか可笑しくなってきました。ふふ」
クモオーグは答える。
「なによりです。KKオーグ」
死神博士曰く、幾多の失敗のすえようやく三種合成型は成功したが、はなはだしく属性の異なるヒト・カマキリ・カメレオンの融合は困難を極めたと言う。肉体的にも精神的にも、基礎であるヒトの部分への負荷は重大だ。そのために緑川博士の変身システムを一部採用した。活動限界を設け、変身を解除することで心身への負荷を軽減する。カマキリとカメレオンの特長を活かした隠密・一撃必殺離脱型のバトルスタイルとも適合するはず。そのように設計したのだから、適宜変身解除をさせてやらなければ困る。
でなければ、KKオーグは長くは保つまい。Kkオーグのオーグメンテーションの責任者であるクモオーグは繰り返し、死神博士に苦言を呈されている。クモオーグは、KKオーグに「変身を解除するな」と言ったことはない。ただ、人間を憎んでいるだけだ。何に起因しているのかもはや思い出せもしないが、頭蓋骨の内側に絶望がこびりついている。人間を殺害するたび、頭蓋の同じ部分から多幸感が溢れ出す。もう人間には戻れはしないことを悦びこそすれ、後悔などした試しがないだけだ。
クモオーグはKKオーグの目元に照準を合わせる。視神経と接続した赤い視界のなかで、左右非対称の彼の仮面もまた、クモオーグを見つめている。
生の感情を覆い隠したいとき、剥ぐことのできない仮面を装着しているというのは便利なものだ。とはいえ、オーグメンテーション以前に顔面を焼いている己の表情を、他者が判別することは困難だろうが。
KKオーグもまた仮面を被っているというのに、どうして彼のそれからは有り余るほどに己への好意が現れるのだろう。クモオーグは不思議に思う。
KKオーグはクモオーグの前では変身解除しない。限界と定められた時間を超過して融合態の姿でいるから、次第に心身が不安定になっていく。必要とする安定剤の量も次第に増え、薬の切れ目も早くなっている。
命令したわけではない。
それが言い訳に過ぎないことはクモオーグも理解している。しかし、KKオーグのヒトとしての姿と、ヒトに戻ってはじめて安定する様子を目の当たりにしてしまったら、きっとクモオーグは今までと同じようにKKオーグと接することができなくなる。冷ややかな態度を取ったとき、好意がもう向けられなくなるだけなら、いい。取り返しがつかないことが起きるような気がする。
それとも自分は、この親愛を失うことが怖いだけなのだろうか。
「なんだかぼく、とってもいい気分です。ふふ。先輩はすごいや」
「それはよかった」
KKオーグがふわふわと笑う。
この瞬間がいつまでも続けばいいのにとクモオーグは願う。